歴史的認識も変わる、揺れ動く学説に注目!
土曜日(5/22)の日経新聞・プラスワンに面白い記事があり目を引きました。
変わる歴史教科書 面白く
平成 → 令和 源頼朝の肖像「別人」に
偶然ですが、今コレクションしようと思っている
切手の 『第一次国宝シリーズ』 の 『鎌倉時代』 に
京都の神護寺が所蔵する「伝源頼朝像」があります。
この肖像画は源頼朝像としてかつての教科書への掲載は
一般的だったように思いますが、この認識が変わっています。
→ かつても、一部に慎重な意見もあったそうですが、そんなことは全く知りませんでした!
変更理由は美術家の米倉迪夫(みちお)氏が神護寺の頼朝像は足利尊氏の弟である直義だとした
研究などが支持されたからだそうです(驚)。
→ 今までの歴史認識はいったい何だったのか?
以前ご紹介した 「甲陽軍鑑」 の作者の話もしかり?
余談ですが、作者は信玄家臣の高坂弾正(こうさかだんじょう)だったそうです!
話しを戻して、現在の教科書に載る源頼朝は山梨県の甲斐善光寺にある肖像彫刻に変わっています!
源頼朝坐像 → 甲斐善光寺で拝見したような記憶あり!
元々この坐像は長野県の信州善光寺にあったそうです。
戦国時代の川中島合戦で武田信玄は信州善光寺の宝物の多くを
甲斐に持ち帰った話は山梨県ではあまりにも有名で、この中に源頼朝坐像があったとのことです。
源頼朝坐像の由来は、東京大学の黒田日出男名誉教授によるところでは
「頼朝の死後10年以内に、妻の北條政子の指示で作成」
この記録が残っているそうで、坐像内に文保3年(1319年)の修理銘もあり
→ 信州善光寺は2度の火災に遭っており、その後に胴体部分が修復されたそうです。
また、源頼朝は信州善光寺復興の功労者だったそうで、黒田名誉教授が総合的に判断すると
「坐像は頼朝でほぼ間違いない!」 とのことです。
教科書は改訂を経て性質を変えてきたとあり、
「知識を定着させるだけでなく、揺れ動く学説も書き生徒の思考力を養えるようになっている。」
併せて、鎌倉幕府の創設ですが、今では1192年でなく
→ いい国作ろう鎌倉幕府 の 語呂合わせで有名
1183年や1185年等の説も取り上げられているとのことで、
変わる歴史認識にも時代の変化を感じています。
歴史は変わらないはずではあるが、その認識は時代と共に変化していると言うことです!
大変興味深いことだと思っています。
2021年05月26日 09:08
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