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太陽光パネルは虚しさの代名詞?

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太陽光パネルは虚しさの代名詞?
 
今日(12/21)の日経新聞にこんな記事が、
 
目立つ空き家・田に太陽光パネル…
 
これは何を言っているかと言うと、福島県の原発問題で、被災地の空き家や耕作者を失った田んぼには太陽光パネルが並ぶ、
 

故郷の風景は様変わりした。

 
美しかった故郷の田園風景が、人もいなくなり、過疎化していく地方を語るかのように、空き地対策用としての太陽光パネルの敷設が進みます。人気のない殺風景な景観に変わったという悲しさを語っています。
 

なんとも悲しい話です(涙)。

 
さて、この話、実は山梨の愛宕山にある我が家も同じ境遇にあるので、身につまされる思いです。
 
愛宕山に居を構えたのは2006年12月、今から16年前です。当時は周り一面が葡萄畑、特に意識していた景観ではなかったのですが、山梨県ならではの美しさをそこに感じていました。ところがいつごろからでしょうか、農業従事者の高齢化問題から、後継者がいないことに端を発し、放置されていく葡萄畑が徐々に増え、これが太陽光パネルに変わっていきました。
 
2015年くらいだったと思います。そして、残念なことに、ブドウ畑の半分以上は耕作者不在となり、太陽光パネルに置き換わっていきました。
 
景観は見るも無残、本当に悲しくなりますが、これが今の愛宕山の現状、もう過去には戻れないと言うことで、美しき良き時代の我が家周辺の景観は失われてしまったままです。
 

 太陽光パネル、これは虚しさと悲しさを表す

    代名詞のように思えてなりません(寂)。

 
 
2022年12月21日 15:11

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