学位授与式と学位記
先月末(3/30)、2年間に渡る大学院の履修課程を終え、学位授与式に臨みました。式自体はそんなに時間がかかるものではなさそうですが、その後に謝恩会、終わってそのまま二次会の流れになっており、ほぼ1日かけたイベントになります。
早いもので、入学して2年の月日が経過、終わってみるとあっという間、とても早かったです。大学院では卒業式ではなく、学位授与式と言うようで、正式には、学位記授与式・学位記伝達式と言うそうです。
大学卒業の4年間課程を終える際は卒業、卒業証書が授与されます。これに対して、大学院以降は学位を授与されるので学位授与式で学位記が授与されます。ただ、最近ではこの区分けもかなりあいまいになっているようです。
→ これも時代の流れだと思います。
修士の学位は、修士論文を提出して、口頭試問をクリアすればほぼすべての場合で授与されます。基本、指導教官の指導に従い論文執筆すればいいので、修士修了はそれほど難しいものではありません。
これが博士になるとそうはいきません。博士論文に学術的な査読付きエビデンスが必要とされ、査読を通した数本の論文内容をまとめて、ひとつのストーリーにしていく必要があります。これが博士論文の格子になります。
自身の場合で思い起こすと(30年近く前の事)、博士論文の章立ては6章(導入部は除く)
この章ごとに査読論文を立てておく必要があったので論文採択数は6本となります。ただ、全ての査読論文がファーストオーサーでなければならないわけではないので、必要論文数は6本程度となります。この本数は指導教官によるところ、 大学の格に基づく審査基準があるようです。自身の場合は、最終的に8本の国際ジャーナルを書きました。理工系では和文論文がカウント外になることも多く、これも指導教官の考え方に依ります。日本語で書く論文は日本人しか読まないので、国際的な学術視点からは価値が無いとされました。
一般には、英語で論文を執筆することの方がハードルが高いと考えられますが、必ずしもそうではありません。何故かというと、海外論文の方が査読に公平性があるように感じるからです。ここからは個人的な所感ですが、凝り固まった日本人査読者は少なくないように感じており、論文の内容より、誰が書いただの、論文の格がどうだだの、発表期間の知名度や実績など、論文の本質的なところはさておき、関係ないところでケチを付けられる場合も少なくありません。
自身の経験でこんなことも、英文執筆での日本の論文誌で何度も何度も修正を言われた(査読者がアホすぎる?)、らちが明かなかったのでその論文投稿先を切り替え、米国の(結構著名な)論文誌に切り替えました。
インパクトファクターは英語で書く日本論文よりも数段上の論文で、結果として『Excellent』で即採択、掲載までの期間も投稿から3か月程度(Letterで投稿したので)と、極めて迅速でとても気持ちよかったです。長々と無駄なやり取りをする日本論文誌とは比較にならない、それでいて論文のインパクトファクターは数倍、以降は馬鹿らしくて日本の学会誌に投稿するのは辞めました。これで学位が計画通りに採れた、27年前の話です(笑)。
話しが脱線しましたが、日本はこう言ったところが後進国で、それが今もあちらこちらで聞えて来るのです。論文を稼ぐ必要がある方がこう言った問題で悩んでいることを聴くと、視点を大きく切り替えて、海外論文誌に投稿する方が博士の学位は近くなる、そうアドバイスしたいところです。実際にはしません、大きなお世話になるので(汗)。
筑波大学からいただいた修士の学位取得は、最後の学位取得になると思いますが、年齢を考えると活かす場所も無いように思いますので、最後にしようと思っています(笑)。お金もかかりますし、家族からの受けも悪いので?
2024年04月18日 08:52
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