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威張る人の真理は勘違い?

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会社の看板を背負って人と付き合うな!
 
今月(2021年8月)の日経新聞、
私の履歴書は元中外製薬名誉会長の永山修氏です。
国際人でらっしゃることもあり、読んでいて凄いなと思います。
そもそも高次元で成功する方のヒストリーは
凡人とはまったく異次元であると再認識するところです。
 
今日(8/12)の回顧録ではロンドン駐在時代の話が出ていて、
お世話になった白洲次郎氏から赴任に際して言われたこと、
これがまさにまとを得たアドバイスだと思いました。
 
 海外赴任に際して、
 会社の看板を背負って人と付き合うな!
 
海外に出てしまうとどうしても言葉の問題もありますが、
日本人同士がつるんでしまいます。
食事や休日は職場の日本人ばかりの人間関係、
せっかく異文化に触れるチャンスがあったとしてもそれが活かされない?
現地の方々と積極的に交流をしない場合も少なくありません。
 
今日のこのコラムを読んで思い出したことがあります。
自身の海外赴任経験はないのですが、
コロナ禍前の平和だったころ、海外の子会社に出張に出向く機会があり、
年に数回の東南アジアの海外出張をこなしていました。
米国も何回かその間に出向いていますが、
モノづくり拠点は何と言っても中国と東南アジアです。
 
仕事を終え、たいがいは海外駐在者が食事に誘ってくれます。
勿論そうでない場合は、適当にホテル周辺で食事をとりますが、
仕事以外の対応は海外拠点の責任者のパーソナリティでかなり異なりました。
 
日本人ばかりで食事をとる場合と、現地スタッフも織り交ぜて行う場合と
極端に雰囲気が異なっていたように思います。
中でもタイに出張した際のことがとても印象に残っています。
現地法人の社長と言われる方は結構変わり者と言われており、
本社からはあまりよく言われていなかったのですが、
行ってみるとその印象は全く逆、大変心地良い経験になりました。
小生が帰国する日に現地スタッフを呼んだパーティに参加させていただき、
本当にアットホームな雰囲気を体感できたからです。
 → 正直言って、心の底から楽しめた会合でした!
 
その方はまったく威張らない、横柄ではない、
現地スタッフと対等に話をされており
観ていてとても気持ちが良かったです。
 
その方は会社の看板である現地法人の社長と言った肩書を
全く意識させない人付き合いができていて現地スタッフの気持ちを掴み、
職場の雰囲気がとてもよく、仕事もやり易かったと記憶しています。
 
また、これとは全く逆のケースもありました。
俺は社長だ、そんな雰囲気がプンプンして現地スタッフが近寄らない?
職場の雰囲気はあまりフレンドリーではなかったように思いました。
 
海外以外でも、会社にいても同じような経験があります。
会社の肩書で態度を変える人は少なからずいますね。
小生に対して職制で下にいる時の態度、その時は馬鹿丁寧でしたが、
それが逆転すると手のひらを返したかのような横柄な対応をする、
その変わり様が極端な場合には驚かされますが(笑)、
それはそれでしょうがないと、次からはそれなりの対応をこちらも心掛けるようにしています。
 
 会社の肩書で付き合っていた方々はプライベートにお付き合いしない、
 先方も嫌々付き合っていたのであれば、お互いに無理はしなくてよい、
 そう割り切れる方が経験的に 半数くらい はいたように思います。
 
会社の看板は個人の付き合いをする場合には掲げるものではないと思います。
勿論、仕事をする場合には会社の代表として掲げる必要もあるし、
仕事をしている場合は会社の看板に傷をつけないような配慮は必要です。
ただ、それをはき違えて会社の看板で自分が偉くなったと勘違いしてしまう?
会社の役割でしかないのに役員になったりすると 「自分は偉いんだ!」
みたいな錯覚に捕らわれたとしたら、役割はあくまで仕事上の話であり、
プライベートなヒトとしての付き合いには関係ない、
だから 威張るな と言いたいですね。
 
 逆説的に、威張りたいから出世を目指すと言うのは
  あまりお勧めしない生き方かもしれません。
 
出世できないヒトの戯言ではありますが、
今日の永山さんのコラムにはちょっと感じるところがありました。
 
 
2021年08月12日 08:51

お荷物にならない歳の重ね方

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セカンドキャリアの道のりは遠く果てしない(涙)?
 
今月に入っての日経新聞 「優しい経済学」、取り上げるのは 高齢者の就業と課題 です。
自身も翌年に迫る還暦を前にして、我こととして読んでいます。
身につまされる切実な内容だと思っています。
 → 還暦以降の働き方をどうするか、真剣に考える時期になりました!
 
特にインパクトがあったのは月曜日(8/9)の記載内容
 
 高齢者雇用に必要なことは
  仕事と役割を明確に伝えること
 
これは何を言っているかですが、
 
 高年齢者の役割や仕事が不明瞭であること を指します。
 
会社側の主張を簡単にまとめると、定年後の再雇用は国の義務でしたけれど
特に頼みたい仕事があるわけではなく、何を頼めばよいのかわからず放置、
その結果として成果が出ない老齢雇用者が増えるので
単なるコスト増になってしまう。→ 企業として老齢者雇用は後ろ向き?
 
働く老齢者側の主張はこうです。
会社に雇ってもらったものの、やるべき仕事も不明確で
 
 何をすればいいのかが分からない? けれど、
 → とりあえず時間を潰しておこう…
 
これを見ている職場の人たちは、
 
 何あの人、仕事せずに給料泥棒?
 → 職場のモチベーションが下がります、
   やる気ない人が足を引っ張る、やる気がなくなる!
 
どちらがどう悪いのか、これはよく分からないのですが、
 
<会社の本音>
とりあえず国に言われたから雇用延長は仕方ない、
実状よりも体裁、法令順守は徹底する。
世間的な評判が下がらないように言われたことはやる、でもそこまで。
あとは現場の問題は現場任せ、体裁重視の会社中枢部門の姿勢堅持!
 
<雇用側の本音>
給料が下がってもとりあえず残れるのであれば残留選択
家にいるだけでは暇だしやることもない、
仕事が無くても会社にいるだけで収入確保の道を選ぶのが賢明。
明確な仕事を与えないのは会社が悪い!
 
現場での実態を考えずに制度ばかりが先に走るとこう言った現実的な問題が起こり、
日本のものつくり現場の生産性はどんどん下がります。
おまけに残業禁止、有給休暇取得も義務、
効率は下がって且つ実働労働時間も減っているように思えます。
 
これでまともに海外と闘える生産性が確保できるのかと言えば、疑問を持たざるを得ないですね!
国は制度を作って義務を果たした感が満載、あとは企業任せでアフターフォローなし、
日本政策の特徴的なところ!
 
今日(8/11)の記載によると、高齢者労働者(65歳以上)率が13%を越えている現在、
このままでいいとは思えない現実ですがどうすればいいのか?
 
これに対しては個人個人が自己責任で考え(制度に頼らない)、
積極的にかかわっていくセカンドキャリアを構築する、
そのためには自分の専門性を高めて周りに認めてもらい
積極的に使ってもらえるような環境を老齢雇用者自身が作っていく、
この気持ちが重要だと思っています。
 
 自身も定年以降に職に就けるようにと奮起しています。
  → 基本理念、定年延長は選択しないつもり!
 
 
2021年08月11日 10:31

ホンダの英断、アラカン世代はどうすべきか?

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早期退職とセットでNSXの生産終了も!
 
今日(8/6)の日経新聞、実にショッキングな記事に驚きを隠せません。
 
 ホンダ早期退職2000人超 → 当初の想定1000人を大幅に上回る
  世代交代推進 EV・自動運転シフト
 
現在のホンダ業績はそれほど悪くないので、
今回の希望退職は将来への布石、
世代交代への必要性からだと思います。
 
世代交代、これは避けられない経営判断ですが、
その際に譲る側のアラカン世代にとっては
なかなか厳しい現実を突きつけられている、
これが複雑な心境にならざるを得ないところです(汗)。
 
今回の希望退職対象者は 55~64歳
退職金上乗せは破格の3年分の賃金上乗せ(最大)
厚い配慮がなされているものの、
仕事を取り上げられるアラカン世代の我々にとっては
寂しさがこみ上げてきます(涙)。頑張っていてもNGですから。
 → 50代後半になるとメーカー在職者は必然的に切られる時代、
   これが今の自分と重なってしまいます。
   → 年功序列で定年まで働ける時代は既に終わっており、
自身の居場所は自分で見つける、多くの方が経験している通りです。
先のある仕事(現場)は若い人に譲るということ。
 
我々アラカン世代は、次のミッションを見つけるべく、
自走するしかない、そんな苦しい心境です(汗)。
 
これに先立ち、エンジン車の生産を近々終了、
EV車にシフトしていくことを明言しているホンダは、
2016年8月に復活させた2代目NSXの生産停止も発表しています。
 
<ホンダサイトより(2021/8/3)>
今回新たに投入するNSX Type Sは、
今までのNSXを超えることを目指し、
パフォーマンスとデザインを追求した、
2代目NSX最後のモデルとなります。
 
https://www.honda.co.jp/news/2021/4210803.html
 
地球温暖化への施策、次の世代にきれいな地球を引き継ぐためにも
ガソリンを使ったエンジン車を減らし、
CO2を出さない配慮は今からやっても遅いくらいですので、
社会的視点からは賛同ですが、ひとりの人間としては辛い選択、
まさに社会的ジレンマそのものだと思っています。
 
ただ、やらなければいけない、
自身の損得より大事なことだと認識しています!
 
 
2021年08月06日 10:12

近くて遠いオリンピックにもの悲しさを感じる

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近くて遠いオリンピックにもの悲しさを感じる
 
今住んでいる社宅から歩いて20分程度の距離に
東京オリンピックの馬術競技会場である馬事公苑があります。
 → 世田谷区の住宅街ど真ん中にあります。
 
週一程度で散歩コースとして歩いているのですが、
オリンピック開催予定期間前(2017年1月~)から
ず~とフェンスに囲われて近づけない状況になっています。
まだ工事は続くとのことで(第2期)、2023年秋まで閉鎖が続くそうです。
 
残念なことに、
こちらに来て一度も立ち寄ることができずに終わりそうです。
 → 馬事公苑は外周の散歩のみになりそうです。
 
せっかく立派な観客席を造ったのですが、
使われずにオリンピック・パラリンピック閉会後に解体となります。
 
改修費の総額は294億円だったそうです。
 
せっかく近くでやっているので、
コロナ禍であることは重々承知していますが、
もう少し開放的(サービス?)であっても良いように思います。
 
国民はテレビで見ていれば良い、
それはそうかもしれませんが、なんだかもの悲しささえ感じてしまいます。

都内にいるけど立ち寄れない、故に余計に物悲しく感じる、
これも心理的な効果のように思えます。


 
 
2021年08月04日 15:00

不安や不快を閉じ込める自我の防衛機制

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誰にでもある? 不安や不快を閉じ込める自我の防衛機制
 
今朝(7/23)、偶然ですが、朝のNHK 「ここから」では
漫画家 ちばてつや の放映を見る機会がありました。
 → その後、NHK+ で 3回見ました(笑)
   なかなか興味深い映像、よろしければ皆さんご覧ください!
 
ちばてつやさんの代表作
あしたのジョーでも戦争体験に向き合っていたとのことでした。
小さい時の記憶だけれど、蓋をしたままではいけないのでは、
そう思ったことがストーリーに現れた一幕があったそうです。
 
ジョーの対戦相手である韓国人ボクサーの金竜飛の過去、
彼の子供時代はまさにその表れだったそうです。
 → 満州からの引き上げ時の話が重なった。
戦時中の金竜飛少年は飢えに飢え、誤って父親を殺してしまいます。
この話はまさに無意識に閉じ込められたちばさんの記憶から
 
戦争の現実を伝えたい
戦争の残酷さを経験から描く
 
蓋をしていたはずなのに、ふ~とその蓋が開いて
無意識のうちに表現したいと感じたそうです。
 
この無意識のうちに、意識の下に眠る閉じ込められた過去の記憶
これがちばさんの苦痛であり、不安であり、不快に繋がっていたようで
それを描かなければと背中を押されたように思います。
 
人は自身が見たくない不合理なものを意識の下に無意識に沈めます。
これはメンタル不全にも繋がります。
メンタル不全は以外に自身ではその原因を見いだせないことがあり、
それが故に多くの人が悩み苦しむように思っています。
 
フロイトが提唱した精神心理学に現される心理療法は
意識の下に眠る無意識を治療の対象にすることが特徴です。
精神療法では無意識の不安や不快感を吐き出すこと、
無意識に沈めている意識領域の自我が行う防衛機制を
明らかにすることから治療を進めます。
古いと言われるフロイトの精神心理療法ですが、
今日のちばさんの話を聴いていると、
まだまだ使える一面があるように思いました。
 
ちばさんは自分なりに漫画で心の内を描きながら
自然に精神療法を成しえたのかもしれません?
 
更に今回の映像を自分なりに深掘りすると、
ジョーの生き方は無意識にちばさん自身の気持ちを
表していたように思いました。
 
ジョーにしても、力石にしても、少年院あがり
決してエリート人生を歩んできたわけではなく、
世間的には道から外れた問題児として描かれ始めています。
そんな彼らですが、やるべきことを見つけて自分の道に進んでいく、
一度道を踏み外しても修正はできると言うこと、
このキャリア感が描きたいと考え、
個々のキャラクターに代弁させていたのではないか?
うどんを食ってボクサー人生を挫折しかけるマンモス西も
その代弁者だったように思います。人生的には成功します。
戦後の混乱期に自分の中にかみ砕けない何かがあり、
矛盾を抱えたちばさん自身のこころが漫画のキャラクターの中にいた?

そんな写像的一面を感じた次第です。
 
無意識の中にある意識の下に閉じ込められた自我の不快感や非合理性は
誰にでもある事象なのではと感じたています。
勿論、自分の中にもあると思っています。
 
 
2021年07月23日 17:32

カウンセリングスタイル(具体例から考える)

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カウンセリングスタイル(具体例から考える)
 
はじめて出会う心理学(改訂版、有斐閣アルマ)第9章 カウンセリングと心理法(心の危機を乗り越える)を読み直して、面白い設問があったので紹介します。
 → これでカウンセラー気質が自己評価できるかもしれません?
 
あなたはカウンセラー、以下のようなクライアント(29歳女性)が訪ねてきて話しだします。
あなたは話を聴き、そしてどのような言葉を発するでしょうか?
 
<クライエント>
私は一人でいるのが怖いのです。とても怖いのです。
自殺するのではないかと思うほどです。
実際に自殺はないのですが、とても憂鬱になってしまいます。
外出もできません。医者に行っても診断を受けるのが怖くて、
がんだと診断されてしまうのではと更に心配になってしまいます。
なんとかならないでしょうか?
 
<回答(1)>
あなたの恐怖心は別にして、がんではないかと思った徴候はありますか?
 
<回答(2)>
そんなに恐怖心に襲われてしまうのなら、いつでも私に電話してください。
私と話をしましょう。相談室でも、私の自宅でも、訪ねて来てください。
話しをすれば冷静になれると思います。
 
<回答(3)>
この恐怖をもう少し追求して見れば、あなたが考えているほど
現実的ではないことが分かるかもしれません。
あなたを何が抑圧し、罪悪感を持たせているか、
私はあなたが自分自身に罰を与えているように思います。
 
<回答(4)>
そんな恐怖感を持たれているのですね、それで一人でいることも怖いのですね。
 


【傾向分析(1)】 総括
意外と言うか、カウンセリングを勉強すると普通かもしれません、
カウンセラーの多くは回答(4)を選ぶ方が多いように思います。
カウンセリングを特に意識していない方は、まずは回答(4)を
選ばないと思います。カウンセリングを学ぶ前の自分と今を比較すると
そのあたりは明確だと思います。
 
<回答(1)> 診断的態度 
具体的な問題に着目し、まずは「がん」と言う言葉を拾うことで、
問題解決の糸口を具体化しようとします。
理系のかつての自分はこの選択をします。
ロジカルな対応を考える場合に相当します。
 
<回答(2)> 支持的態度
相手に親身に寄り添い、安心感を与えようとします。
性善説に基づく一般的な思考からは、この答えが多いようにもいます。
ただ、どこまで親身になれるかは、カウンセリングの理論が無い場合
個人的感情に基づく好き嫌いが出てしまうので難しい?
自身が好意を持てるクライエントであるか否かで
対応が変わるように思います。
 
<回答(3)> 解釈的態度
ちょっと極端な例ですが、心理学を学んでいる場合にあり得る選択肢です。
心理学を学んだ方ならばすぐに気づくでしょうけれど、
フロイトの精神分析的考察であることが分かります。
 
<回答(4)>理解的態度
これはかなり極端な例ですが、
カウンセリングにおけるロジャーズの理論、
傾聴をベースとしたかかわり方の基本になります。
 

 
【傾向分析(2)】 理論的考察
この設問は結構面白いなと思います。
個々人のバックグラウンドに依存して対応が極端に変わり、
その変化は個人の学習履歴に依存することがとても興味深いわけです。
カウンセリング理論やその他代表的な治療法と対応付けて考察してみます。
 
<回答(1)> 診断的態度 → (循環器系含む)医者的反応
特定の理論と言うよりは、現実思考(モダニズム的発想)でしょうか?
仮にクライエントが本当(?)にがんだとすれば、
カウンセラーは医者にリファーしなければならない案件です。
ただ、本当にクライエントががんを予想しているのであれば、
まずは最初に循環器系の医者を訪ねると思いますので、
必ずしも的確な対応とは言えないので
その場の判断にゆだねられるところが大きいように思います。
 
<回答(2)>支持的態度 → マイクロカウンセリングで言う積極技法?
感情に関わる接し方だと思われ、
カウンセリング基礎ではあまり推奨されないやり方だと思います。
ただ、発展形になると、場合によっては許されますが、
かなりの熟練を要する対応と言えます。
時間と場所(時にはフィー設定も必要)を決めて、
インフォームド・コンセントの設定どおりに従うのであれば、
この選択は選ぶべきではないと思います。
特にカウンセラーが男性であれば 「私の自宅」はNGですね!

<回答(3)>解釈的態度 → 精神分析、精神療法
フロイトの精神分析では、クライエントに現在の心理的状態を伝えて、
それを認識させることから意識と無意識の境界線を探索
「防衛機制」を解明し、これを治療の具体的手法に繋げていくわけです。
ただ、最近ではあまりやられていないように思います。
 
<回答(4)>理解的態度 → 来談者中心療法
カウンセリングの基礎に相当し、まずは「聴くこと」から初めて、
クレイエントの自己実現を手助けすることを優先します。
カウンセリングでは答えを与えることを目的とせず、
クライエントの支援を優先した手法に相当します。
 
 
今さらですが、こういった事例を読み返すことで、
多くを知らされ、色々なところからの気づきを感じます。
 
 
2021年07月22日 12:41

環境問題をまじめに考える!

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廃棄物の削減は今を生きる我々世代の必達事項!
 
今日(7/19)の日経新聞、やさしい経済教室では「ゴミ削減を考える」シリーズが始まりましたので、自身の経験を踏まえてゴミ問題を考えてみたいと思います。私事、2016年から2019年にかけて、廃棄物削減を主テーマに仕事をしていた時期がありまして、ゴミの問題は家庭だけではなく、産業界全域に関わる問題として、かなり深刻に捉えています。問題意識も持っています。業務上必要だったこともあり、資格も取得しています。
 
 特別管理産業廃棄物管理責任者資格
 
この資格は研修に出て、簡単なテストを受けるだけなので誰でも取得可能ではありますが(講義中は寝てはいけませんが)、取得することで廃棄物に関わる法律全般を知ることができるので職場では勿論、家庭でのごみ問題も自身のこととして受け入れられるようになります。
 
さて、年間のゴミの処理費用についてですが、浅利美鈴 京大准教授のコラムによると、一般廃棄物だけでなんと
 
 2兆910億円 国民一人当たり1万6,400円
 
ここで注目すべきことは、あくまでもごみを捨てるだけの費用であり、ゴミ自体が出て来るまでの費用は計上されていません。
 
加えてもうひとつ、大事なこととして、廃棄物の法令を知っている方ならだれでもご存知ですが、一般廃棄物だけでの費用、産業廃棄物は含まれていないようです。
 
廃棄物は法律で以下の区分に分かれています。
  • 一般廃棄物(家庭ごみ・事業系一般ごみ)
  • 産業廃棄物(事業活動により生じる廃棄物)
 
この区分けは知らないと結構厄介で、物理的に同じ廃棄物であっても出てくる場所(家庭か、事務所か、工場か)やゴミの位置づけ(処理費用が掛かるか否か)によって変わります。
 → 処理費用(運送費含む)がかからなければ有価物
 
廃棄物区分によって処理責任者も変わります。
  • 一般廃棄物 → 地方自治体責任
  • 産業廃棄物 → 排出者責任
 
ここではこれ以上詳細しませんが、不法投棄が絶えない過去を鑑み、厳しく管理されています。ですが、法令違反が絶えることはない状況で、法令順守はなかなか遵守されていない面も否定できません。 → 故意の場合もあるが、知らずにやってしまうケースもある!
 
ここで言いたいことは、家庭から排出される廃棄物以外にも莫大な産業廃棄物が出ており、これにも莫大な処理費用が掛かっていると言うことです。以前は中国を含む東南アジアにゴミが出されていましたが、2018年以降、中国では引き取りを中止(中国での環境配慮)、2019年以降では東南アジア諸国でも引き取りを辞めていったので、日本(世界中)のゴミが行き場を失い、国内でのゴミ処理が追い付かない状況が目立ってきました。
 
海洋汚染における「マイクロプラスチック」問題も深刻化する中、そろそろ人間は自己中心的な利便性を最優先するのではなく、地球への環境配慮をまじめにやっていくべき時期にあるように思います。次世代にまともな地球を引き継ぐことは現在を生きる我々世代の必須責任だと思っています。
 
 
2021年07月19日 22:06

環境問題を社会的ジレンマの視点から考える

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「社会的ジレンマ」と言う概念があります。結構難しい問題で、簡単に言うと個人の合理的な選択が社会的には非合理に繋がる、つまり個人と社会の関係性に矛盾がある状況を指します。具体的に考えると分かりやすいのが環境問題で、個人を人類と置き換えて考えても良いと思います。昨今問題視されている地球温暖化問題やゴミの問題はまさに社会的ジレンマによると言える、典型的な事例だと思います。
 
(個人の視点)使い捨てゴミ袋は安くて便利、
→(社会の視点)でも環境汚染の大きな問題
 
(個人の視点)温室効果ガスは人類が快適に暮らすために使える、
→(社会の視点)でも放出すると地球環境が崩れる
 
自分のキャリアに社会的貢献を重視する人は、社会的ジレンマに対しての個人依存が小さく、社会性を重視することが特徴だと言えます。これは個人が持つべきそもそもの意識の部分が大きく寄与しており、生活に困窮してしまうとなかなか育ちにくい考え方かもしれません。何故か、先ほどの例示から対比してみます。
 
使い捨てゴミ袋は安くて便利だけれど、環境汚染の大きな問題なので使わない。
→ 少々の不便は我慢する
→ 高いゴミ袋であっても環境に負荷がかからないものを選びたい。
 
これは自腹を切ってよりコストのかかる同じ機能を使うと言うことで、
生活にゆとり(金銭的な余裕)がないとできない行為かもしれません?
 
温室効果ガスの問題もそうです。暑くてもクーラー無しの生活ができるかですが、昔はできていたので、本質的には人間の贅沢や快適性のために多くの犠牲が払われてきただけのこと、これを如何に我慢できるかです。そもそも温室効果ガスの問題が無ければ、夏場の灼熱地獄もなかっただろうし、風雨水害による土砂崩れも起こらなかったと思います。
 
コロナウィルスの汚染拡大にしても、多発する水害災害にしても、人間が社会的な合理性を無視して強引に推し進めた結果の戒めのように感じています。我々が社会の視点から合理性を考えるべき時代に来ていることは、多くの方々が感じていることですが、

 実践に繋げるのができていないのかもしれません?
 
2021年07月16日 13:23

あるきっかけから始まる奉仕・社会貢献

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あるきっかけから始まる奉仕・社会貢献
 
今日(7/11)朝のNHK番組 桂文珍とサンドウィッチマンの対談からです。
 
お笑いで今やトップとも言えるサンドウィッチマンマンが、
大変胸打つ話をしていたので取り上げたいと思います。
 
話しは遡って東日本大震災の当日、
彼らは東北でのレギュラー番組の撮影のため、
宮城県気仙沼市を訪れていたそうです。
地震発生の2011年3月11日午後2時46分は、
撮影がちょうど休憩に入ったところで、
そこに突然の凄まじい揺れを体験したそうです。
 
彼らがいた海沿いは30分以内には10mを超える津波が来るとの情報が入り、
スタッフの迅速な対応で安波山にたどり着いたそうです。
その後に彼らが目にした光景、気仙沼に押し寄せた非日常的な
津波の存在を目の当たりにすることになります。
昼間にロケをしていた気仙沼の町は火の海になっていたそうです。
ロケに来てくれたお客さんにも亡くなった方がいたそうです。
 → 逃げ方を間違うと死んでしまう、そんな状況だったそうです。
 
彼らが凄いのは、番組中で言っていた言葉に
 
自分たちは生かされたと思いました、
  だから東北のために何かしなくてはいけない!」、
 
そう思ったそうです。
 
そんな経験がサンドウィッチマンが芸人人生を懸けた
奉仕・社会貢献的な決断に繋がったそうです。
 
自身のキャリア軸に「奉仕・社会貢献」を置く方がいます。
このきっかけがこう言った大きな災害である場合も少なくないようです。
彼らの貢献は広く知られていますが、詳細に調べてみると
例えば義援金の立ち上げ、被災日後の東京で
『東北魂義援金』立ち上げの記者会見を行っています。
 
テレビ局スタッフの適切な対応もあり、
(ここにも感謝の気持ちがにじみ出ていたのが彼らの愛されキャラ?)
地獄の気仙沼から生きて帰れたからこそ、
震災の当事者として伝えることを「使命」と感じたそうです。
 
実は彼らの活動はこの震災の話に限定されません。
他にもいろいろな社会貢献に携わっています。
その一つで特に印象的な活動がNHKの「病院ラジオ」、
彼らが(重度な病気にかかっている方が入院する)病院に出向き、
2日間限定のラジオ局を開設、収録を行う番組です。
→ ネットでも見られるので、機会があれば見ていただきたい!
 
特設ブースに入院患者やその家族らをゲストとして迎え、
病魔と闘う現状を赤裸々に語ってもらい、
心の底からの本音を吐き出してもらう企画です。
ちょっと感動モノ、涙をそそられる場面すらあります。
 
今日のサンドの話を聴いてですが(なるほど感)、
初めから奉仕・社会貢献への適性を認識できていない人も、
あるきっかけで変わることがある、
そして、他の職適正を併せ持つ人もいるのだと再認識できました。
自分に最適なキャリアは必ずしも一つではない場合もあるようです。
 
 社会に貢献する仕事、
  それはどんな仕事であっても派生する可能性がある!
 
お笑いと言う、対局のような仕事においてでも
志ひとつで社会貢献できることがあるわけです。
 
追伸、彼らのとった行動が「売名行為」と批判され、
悩んだ末に彼らがここまでやり抜いたことも
忘れないでいてあげてください。
 
 
2021年07月11日 09:10

リエゾンシニア、皆さんの会社で活用できていますか?

210709_Rieson_00
リエゾンシニア、皆さんの会社で活用できていますか?
 
今日(7/9)の日経新聞 私見卓見 からです。
 
 「つなぐシニア」が日本を元気に
 
コラムを書いた池口武志氏が所長を務める定年後研究所の調査結果によると
大手企業の人事部担当者や中高年へのインタビューの結果
 
 シニアが必要不可欠な人材として頼りにされている!
  → 「リエゾンシニア を見いだした!」 とあります。
  → リエゾンシニア は ネット検索にかからない新語のようです?
 
リエゾンとはフランス語で「橋渡し・つなぐ」意味があるとのことで、
シニアの役割として、繋ぐ業務をやっている方々をリエゾンシニアと呼ぶようです。
これが大手企業で注目されていると言うのですが、
 
本当でしょうか?
 
(高齢の社員狙いで)ガンガンにリストラしている企業
  → 早期退職制度で無理やり辞めさせる強硬策も

 会社に残れたとしても年齢とともに肩たたきされているサラリーマンの現実、やりがいが与えられていない?
 → 若い人に道を譲るのは当然ですが、そこには尊厳の気持ちが無いと
   人道的な視点から人と人との関係性が維持できなくなるように思います。
 
このコラム、書かれていることは理想的なのですが、見ているところがちょっと表面だけすぎないか?
自分もその年代に差し掛かり、本当に会社に必要とされているかと思うに、
 
自身のスキルの低さもあるとは思いますが、お世辞にも重宝されているとの印象はないですね?
 → シニアはお荷物(?)的な扱いのように感じています。
   ある面しょうがないとは思っています(笑)。諦めですね。
 
 企業規模に依るのかもしれませんが、大手に勤めている人で
 やりがいを持って働けている人は、出世街道を爆走している
 ほんの一部の方だけ(100人に一人はいないレベル)のように思えます。
 
さて、シニア側の視点からの意見です。
若い人が使いやすいシニアになるのであれば何の問題もありません。
そうではない、シニア前(~50歳)の管理職にどう思われるか、
ほんとはここが全てのように思っています。
 
人との相性は結構当たりはずれがあって、中身が無くて「好印象」だけで部長になった人や、 
本当の意味で部長職しかできないような人が上司に来ると、
やっていくシニアの視点からは辛いものがあるように思います。
 → 管理職に使いにくいと思われる前に
お互いに相手に頭を下げる気持ちになれない?
たいがいの方々はそれを表に出さずに大人の振る舞いです。
 
年齢は関係なくて、若いから頭を下げたくないのではなく、
頭を下げるには、それだけの 「人としての器」 を見たいですよね。
そんな方は全くいないわけではないのですが、それほど多くもないように思います(涙)。
なので、多くのシニア、特に優秀な方は元居た職場に残らず
どこかほかの居場所を求めて異動します。
残るのはそれができない、お荷物的なシニアになってしまい、

人事の本音は、
 
 「こんなにたくさんのシニアを65歳まで食わせなければならない(汗)」
 
 「経費ばかりかかって成果が出ない…」
 
そんな言葉に変わっていくわけです。
悪いのはどっちかではなく、お互い様なのでしょうが、
リアゾンシニアを実践できている方が大企業でどの程度いるのか、
実態調査でお示しいただきたいように思いました。
 
シニアにも やりがい、生きがい、達成感を実感できる職場、そうなるとリアゾンシニアとしての意味が見いだせる、
ただ今はそこまで来ていないのでは?
 
 そんな感想を持ったコラム記事でした。
 
 
2021年07月09日 15:05